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BCHE遺伝子と無コリンエステラーゼ症:症状から検査、治療まで徹底解説

BCHE遺伝子(ブチリルコリンエステラーゼ遺伝子)は、麻酔薬や特定の筋弛緩剤の代謝に重要な役割を果たす酵素をコードしています。この遺伝子に変異が生じると、無コリンエステラーゼ症(ブチリルコリンエステラーゼ欠損症)と呼ばれる状態を引き起こし、手術時の麻酔薬に対する反応異常など、医療上重要な問題を生じさせることがあります。

本記事では、BCHE遺伝子の基本情報から、関連する疾患、遺伝形式、検査方法まで詳しく解説します。特に手術予定のある方や家族歴のある方にとって重要な情報となりますので、ぜひ参考にしてください。

BCHE遺伝子とは

BCHE遺伝子は、ブチリルコリンエステラーゼ(BChE)という血清中の酵素をコードする遺伝子です。この遺伝子は染色体3q26.1に位置し、4つのエクソン(うち3つはコーディング領域)からなり、約64kbのDNA領域にわたって存在しています。

ブチリルコリンエステラーゼは、コリンエステル(特に筋弛緩剤のサクシニルコリンやミバクリウムなど)の加水分解を触媒するセリンヒドロラーゼです。この酵素は主に肝臓で合成され、血液中に分泌されます。

BCHE遺伝子の基本情報

• 正式名称:Butyrylcholinesterase(ブチリルコリンエステラーゼ)

• 別名:Pseudocholinesterase E1、CHE1、Acylcholine acylhydrolase

• 染色体位置:3q26.1

• ゲノム座標(GRCh38):3:165,772,904-165,837,423

BCHE遺伝子の機能

BCHE遺伝子がコードするブチリルコリンエステラーゼの主な機能は以下の通りです:

• コリンエステル類の加水分解を触媒する

• 特に筋弛緩剤であるサクシニルコリンやミバクリウムの分解に重要な役割を果たす

• 一部の有機リン系殺虫剤の解毒にも関与する

• 胎児期および発達段階の脳内で特に高レベルで発現し、神経系の発達に関与している可能性がある

この酵素が正常に機能することで、麻酔薬や筋弛緩剤が体内で適切に分解され、その効果が適切な時間内に消失します。BCHE遺伝子に変異があると、この分解プロセスが阻害され、薬剤の効果が延長することがあります。

BCHE遺伝子関連疾患:無コリンエステラーゼ症

無コリンエステラーゼ症(Butyrylcholinesterase deficiency、BCHED)は、BCHE遺伝子の変異によって引き起こされる状態で、ブチリルコリンエステラーゼ活性の低下または欠損を特徴とします。この疾患は通常、以下のような特徴を持ちます:

無コリンエステラーゼ症の主な特徴

• 日常生活では通常無症状

• サクシニルコリンやミバクリウムなどの筋弛緩剤投与後に延長性無呼吸(麻酔後無呼吸)を引き起こす

• 通常3〜5分で回復するはずの筋弛緩作用が、30分以上、時には数時間継続することがある

• 有機リン系殺虫剤への感受性増加の可能性

この疾患自体は生命を脅かすものではなく、日常生活における制限もほとんどありませんが、手術時には重大な合併症を引き起こす可能性があります。特に全身麻酔が必要な手術を受ける際には、事前に医療チームにBCHE遺伝子変異の有無について伝えることが非常に重要です。

麻酔後無呼吸(Postanesthetic apnea)

無コリンエステラーゼ症患者が経験する最も一般的な症状は、筋弛緩剤投与後の延長性無呼吸です。通常は以下のように進行します:

• 筋弛緩剤(特にサクシニルコリン)投与後、通常より長時間にわたり呼吸筋麻痺が継続

• 人工呼吸器からの離脱が困難になる

• 重症例では、適切な対応がなければ低酸素症や二次的な合併症につながる可能性

BCHE遺伝子の主要なバリアント

BCHE遺伝子には多くのバリアント(変異型)が存在し、それぞれ酵素活性や薬物代謝に異なる影響を与えます。最も重要なバリアントには以下のようなものがあります:

主要なBCHE遺伝子バリアント

非定型バリアント(Atypical variant / D70G):最も一般的な変異の一つで、70番目のアミノ酸がアスパラギン酸からグリシンに変わります。この変異によりコリンエステル(特にサクシニルコリン)への親和性が大幅に低下します。

サイレントバリアント(Silent variant):酵素活性がほぼ完全に欠損するバリアントで、最も重症の表現型を示します。複数の異なる変異によって引き起こされます。

Kバリアント(K variant / A539T):欧米人の約25%が保持している比較的一般的な変異で、酵素活性が約30%低下します。単独では通常臨床的に重要ではありませんが、他のバリアントと併せて存在すると症状を悪化させることがあります。

フルオライド耐性バリアント(Fluoride-resistant variants):実験室検査でフッ化ナトリウムによる阻害に抵抗性を示すバリアントで、いくつかの異なる変異が存在します。

これらのバリアントは単独で存在する場合もあれば、複合ヘテロ接合体(二つの異なるバリアントを持つ状態)として存在する場合もあります。特に非定型バリアントとサイレントバリアントの複合ヘテロ接合体は、臨床的に重要な酵素活性低下を引き起こします。

無コリンエステラーゼ症の遺伝形式

無コリンエステラーゼ症は常染色体劣性(潜性)の遺伝形式をとります。これは以下のことを意味します:

• 発症するためには両親からそれぞれ変異したBCHE遺伝子を受け継ぐ必要がある(ホモ接合体または複合ヘテロ接合体)

• 片方の親からのみ変異遺伝子を受け継いだ場合(ヘテロ接合体)は通常「保因者」となり、軽度の酵素活性低下はあるものの、臨床症状は示さないか非常に軽度

• 両親が共に保因者である場合、子どもが疾患を発症する確率は25%、保因者になる確率は50%、完全に正常である確率は25%

保因者頻度と検出率

遺伝子 疾患 遺伝形式 対象人口 保因者頻度 検出率 検査後保因確率 残存リスク
BCHE 無コリンエステラーゼ症 常染色体劣性(潜性) 一般集団 28人に1人 99% 2,701人に1人 302,512人に1人〜4,537,228人に1人

バリアントの種類によって酵素活性の低下レベルは異なり、臨床症状の重症度も変わります。また、地域や民族によっても特定のバリアントの頻度は異なります。

無コリンエステラーゼ症の診断

無コリンエステラーゼ症の診断は、以下の方法で行われます:

臨床的診断

• 麻酔後無呼吸のエピソード(特にサクシニルコリン投与後)

• 家族歴の確認(特に麻酔に対する異常反応の有無)

生化学的検査

• 血清ブチリルコリンエステラーゼ活性測定

• ジブカイン番号(DN)とフルオライド番号(FN)の測定(特定のバリアントの同定に役立つ)

分子遺伝学的検査

BCHE遺伝子の遺伝子解析(特定の変異の検出)

• 全エクソーム解析または全ゲノム解析(希少バリアントの場合)

通常、無症状の時期に診断されることは少なく、麻酔後の予期せぬ延長性無呼吸を経験した後に診断されることが一般的です。しかし、家族歴がある場合は、事前スクリーニング検査によって診断されることもあります。

BCHE遺伝子の保因者検査の重要性

BCHE遺伝子の保因者検査は、以下のような方に特に重要です:

• 無コリンエステラーゼ症の家族歴がある方

• 過去に麻酔薬に対する異常反応を経験した方

• 将来的に手術予定がある方(特に全身麻酔を要する手術)

• 家族計画中のカップル(特に一方が保因者または罹患者である場合)

保因者検査のメリット

• 手術前に麻酔薬に対するリスクを把握できる

• 麻酔科医が適切な麻酔計画を立てるための重要な情報となる

• 家族計画において、疾患発症リスクについて情報を得ることができる

• 他の家族メンバーへのリスク評価にも役立つ

ミネルバクリニックでは、BCHE遺伝子を含む拡大版保因者検査を提供しています。この検査では、無コリンエステラーゼ症だけでなく、多くの遺伝性疾患の保因者状態を一度に調べることができます。

無コリンエステラーゼ症の管理・対応

無コリンエステラーゼ症に特異的な治療法はありませんが、以下のような対応が重要です:

麻酔時の対応

• サクシニルコリンやミバクリウムなどの特定の筋弛緩剤の使用を避ける

• 代替の筋弛緩剤(ロクロニウムなど)を使用する

• 麻酔後は慎重な呼吸モニタリングを行う

• 必要に応じて延長された人工呼吸器サポートを提供する

日常生活での注意点

• 医療アラートブレスレットの着用を検討する

• すべての医療提供者(特に手術や麻酔を担当する医師)に状態を知らせる

• 有機リン系殺虫剤への曝露を避ける(特に農業に従事している場合)

適切な管理と対応により、無コリンエステラーゼ症患者も安全に手術を受けることが可能です。重要なのは事前に自分の状態を把握し、医療チームと共有することです。

医療機関で伝えるべき情報

無コリンエステラーゼ症と診断されている場合や、家族歴がある場合は、以下の情報を医療機関に伝えることが重要です:

• 診断されているBCHE遺伝子変異の種類

• 過去の麻酔歴と反応状況

• 家族の麻酔への反応歴

• 服用中の薬剤(一部の薬剤はブチリルコリンエステラーゼ活性に影響を与える可能性があります)

遺伝カウンセリングの重要性

無コリンエステラーゼ症の診断を受けた方やその家族、また保因者検査を検討している方にとって、遺伝カウンセリングは非常に重要です。遺伝カウンセリングでは、以下のような情報提供やサポートを受けることができます:

• 疾患の遺伝形式や再発リスクに関する情報

• 検査オプションとその解釈についての説明

• 家族内での情報共有方法についてのアドバイス

• 心理的・社会的サポート

ミネルバクリニックでは、臨床遺伝専門医による遺伝カウンセリングを提供しています。専門医が個々の状況に合わせた情報提供とサポートを行います。

まとめ

BCHE遺伝子変異による無コリンエステラーゼ症は、日常生活では通常無症状ですが、麻酔時に重大な合併症を引き起こす可能性がある遺伝性疾患です。特に全身麻酔を伴う手術を予定している方や、家族歴のある方は、事前に保因者検査を検討することが重要です。

ミネルバクリニックでは、拡大版保因者検査を通じてBCHE遺伝子を含む多くの遺伝子の検査を提供しています。また、臨床遺伝専門医による遺伝カウンセリングも利用可能です。自分自身や将来の家族の健康を守るために、ぜひ専門家にご相談ください。

参考文献

  1. Garcia DF, et al. (2011). Characterization of butyrylcholinesterase deficiency. Clinica Chimica Acta, 412(9-10), 869-874.
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  3. Primo-Parmo SL, et al. (1996). Characterization of 12 silent alleles of the human butyrylcholinesterase (BCHE) gene. American Journal of Human Genetics, 58(1), 52-64.
  4. Yen T, et al. (2003). Butyrylcholinesterase (BCHE) genotyping for post-succinylcholine apnea in an Australian population. Clinical Chemistry, 49(8), 1297-1308.
  5. Delacour H, et al. (2014). Butyrylcholinesterase deficiency: genetics, diagnosis and clinical consequences. Annales de Biologie Clinique, 72(1), 5-12.
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この記事の筆者:仲田洋美(医師)

ミネルバクリニック院長・仲田洋美は、1995年に医師免許を取得して以来、のべ10万人以上のご家族を支え、「科学的根拠と温かなケア」を両立させる診療で信頼を得てきました。『医療は科学であると同時に、深い人間理解のアートである』という信念のもと、日本内科学会認定総合内科専門医、日本臨床腫瘍学会認定がん薬物療法専門医、日本人類遺伝学会認定臨床遺伝専門医としての専門性を活かし、科学的エビデンスを重視したうえで、患者様の不安に寄り添い、希望の灯をともす医療を目指しています。

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