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「ゲノム」は、ニュースや医療の場面でよく目にする一方、遺伝子・DNA・染色体との違いが分かりにくい言葉です。この記事では、ゲノムの定義から、ヒトのゲノムの数と大きさ、生物による違い、ゲノム情報の守られ方までを、臨床遺伝専門医の立場から整理します。
Q. ゲノムとは何ですか?簡単に教えてください
A. ゲノムとは、その生物をつくり、はたらかせるのに必要な遺伝情報のひとそろい(1組)のことです。ヒトでは、23本の染色体に収められた約30億塩基対のDNAが1組のゲノムにあたり、その中にタンパク質をつくる遺伝子が約2万個含まれています。ただし、ゲノムは「遺伝子の全体」ではなく、遺伝子以外の領域も含む点が大切です。
- ➤語源 → 1920年に植物学者ヴィンクラーが提唱。のちに木原均が「その生物をその生物たらしめる遺伝情報」と定義し直した
- ➤違い → DNAは物質、遺伝子はその中の単位、染色体はDNAを収めた構造、ゲノムはそれらに書かれた情報のひとそろい
- ➤何組? → 1組は23本。体の細胞は父と母から1組ずつ受け継いだ2組(46本)をもつ
- ➤ゲノム情報 → 個人情報として保護され、差別を防ぐための法律・基本計画・人権啓発が整えられつつある
🧬 ゲノムの基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 読み方・英語 | ゲノム(英:genome〔ジーノーム〕、独:Genom) |
| 定義 | その生物をつくり、はたらかせるのに必要な遺伝情報のひとそろい。1組のゲノムを指す場合と、1人の細胞にあるDNAすべてを指す場合がある |
| ヒトの1組 | 染色体23本(常染色体22本+XまたはY)、約30億塩基対 |
| 体の細胞 | 父由来・母由来の2組(46本、約60億塩基対) |
| 遺伝子の数 | タンパク質をつくる遺伝子は約2万個(推定値) |
| 核以外のゲノム | ミトコンドリアDNA(16,569塩基対、37遺伝子) |
| 完全解読 | 2022年にほぼ1組分の切れ目のない配列、2023年にY染色体も完成 |
※本記事はゲノムという用語の解説です。特定の検査を勧めるものではありません。

1. ゲノムとは?簡単にいうと「遺伝情報のひとそろい」
ゲノム(genome)とは、ある生物をつくり、はたらかせるのに必要な遺伝情報のひとそろいのことです。その実体は細胞の中にあるDNAで、ヒトでは約30億塩基対の長さがあります[1]。遺伝子を1つ1つの設計図とすれば、ゲノムは設計図の使い方を決める部分まで含めた「全巻セット」です。
ここで最初に押さえておきたいのは、「ゲノム」という言葉には2通りの使い方があることです。高校生物では、精子や卵子がもつ染色体1組ぶん(ヒトでは23本)をゲノムと定義します。一方、医療や研究では、1人の細胞にあるDNAすべてを「その人のゲノム」と呼ぶことが多く、米国国立ヒトゲノム研究所(NHGRI)の用語集もヒトのゲノムを「核の23対の染色体とミトコンドリアの小さな染色体」と説明しています[1]。どちらも誤りではなく、文脈で指す範囲が違うのです。
💡 用語解説:塩基対と、ゲノムの大きさの単位
DNAはA(アデニン)・T(チミン)・G(グアニン)・C(シトシン)という4種類の塩基が並んだ2本の鎖でできており、AとT、GとCが向かい合って対をつくります。この1組を「塩基対(bp)」と数え、ゲノムの大きさは塩基対の数で表します。1,000塩基対が1kb、100万塩基対が1Mb、10億塩基対が1Gbです。ヒトのゲノム1組は約3Gb(約30億塩基対)にあたります。
ゲノムの意味と語源
「ゲノム」は、1920年にドイツの植物学者ハンス・ヴィンクラー(Hans Winkler)が提唱した言葉です。ヴィンクラーは著書の中で、半数体の染色体の1組をGenomと呼ぶことを提案しました[2]。日本語の「ゲノム」はこのドイツ語の読みに由来し、英語ではgenome(ジーノーム)と発音します[3]。
語の成り立ちには、「gene(遺伝子)+chromosome(染色体)」とするオックスフォード英語辞典の説と、「gene」に「全体」を表す「-ome」を付けたとするレダーバーグらの説があります[2]。どちらの説が正しいかは確定しておらず、本記事では両説を併記します。
日本では、遺伝学者の木原均が1930年に、ゲノムを「その生物をその生物たらしめるのに必須な遺伝情報」と概念的に定義し直したことが知られています[3]。
ゲノムは「遺伝子の全体」ではない
「ゲノム=遺伝子の全体」と説明されることがありますが、これは正確ではありません。ゲノムには、遺伝子のほかに、遺伝子のはたらきを調節する領域、繰り返し配列、そして機能がまだよく分かっていない領域まで含まれます。ヒトゲノム計画の成果をまとめたNHGRIの資料によれば、タンパク質の設計図にあたる部分はゲノム全体の2%未満で、タンパク質をつくらない繰り返し配列が少なくとも半分を占めます[4]。
ヒトの遺伝子の数は、ゲノム解読の前には10万個とも言われていましたが、解読が進むにつれて大きく下方修正されました。2001年の最初の概要版では3万〜3.5万個、2003年の完成版では2万〜2.5万個と推定され[4]、その後の注釈作業でも数が減り続け、現在は2万個前後(2万個をやや下回るとする推定もある)と考えられています[5]。判定基準によって変わるため、あくまで推定値です。
もう一つ注意したいのが、「何%が遺伝子か」という問いの答えは、「遺伝子」という言葉をどこまで含めて使うかで大きく変わることです。「2%未満」はタンパク質を指定する部分だけの値で、読み取り後に切り取られるイントロンを含めた遺伝子の領域はずっと広くなります。遺伝子以外の部分については、ノンコーディングDNAの記事で詳しく解説しています。
核のゲノムとミトコンドリアのゲノム
細胞のエネルギー工場であるミトコンドリアも、独自の小さなDNAをもっています。これをミトコンドリアゲノム(ミトコンドリアDNA)と呼び、NHGRIもヒトのゲノムを「核の染色体とミトコンドリアの小さな染色体」からなると定義しています[1]。
ヒトのミトコンドリアDNAは16,569塩基対の環状のDNAで、37個の遺伝子を含みます。そのうち13個は、酸素を使ってエネルギー(ATP)をつくる酸化的リン酸化の酵素の部品を、残りはRNA(tRNA 22個、rRNA 2個)をつくります[6][7]。ミトコンドリアDNAは卵子を通じて母親から受け継がれるという、核のゲノムとは異なる受け継がれ方をします[7]。
2. ゲノムと遺伝子・DNA・染色体の違い
DNAは遺伝情報を担う「物質」、遺伝子はその中でタンパク質などをつくる「単位」、染色体はDNAを折りたたんで収めた「構造」、ゲノムはそれらに書かれた「情報のひとそろい」です。まず関係を一覧で整理します。
🔍 ゲノム・DNA・遺伝子・染色体の違い
| 用語 | 何を指すか | たとえ | ヒトでの目安 |
|---|---|---|---|
| DNA | 遺伝情報を担う物質(デオキシリボ核酸)。4種類の塩基が並ぶ二重らせん | 文字が書かれた紙 | 体細胞1個で約60億塩基対 |
| 遺伝子 | DNAのうち、タンパク質やRNAをつくる情報をもつ単位 | 1つ1つのレシピ | タンパク質をつくる遺伝子は約2万個 |
| 染色体 | DNAがタンパク質(ヒストン)に巻きつき、折りたたまれた構造 | レシピを綴じた本 | 体細胞に46本(23対) |
| ゲノム | その生物に必要な遺伝情報のひとそろい | 本棚にそろった全巻セット | 1組23本・約30億塩基対 |
※たとえは理解の補助です。

ヒトの多くの体細胞には23対・46本の染色体があり、染色体はDNAが折りたたまれてできています。遺伝子はDNA上の機能的な単位です。ヒトのゲノムを広い意味で捉える場合、核の染色体に含まれるDNAに加えて、ミトコンドリアDNAも含まれます。
※この図は位置関係を理解するための模式図です。図中の「遺伝子」はDNA上の一部分であることを示すために短く描いており、実際の遺伝子の塩基数や長さを縮尺どおりに表したものではありません。また、DNA二重らせんの巻き方も模式的です。生理的条件で一般的なB-DNAは、平均すると約10.5塩基対で1回転します。
細胞 → 核 → 染色体 → DNA → 遺伝子の順に、大きい構造から細かい単位へ「拡大」していくと、次のような関係になります。
ゲノムとDNAの違い:情報と物質
DNAは物質の名前、ゲノムはそのDNAに書かれた遺伝情報の全体です。DNA(デオキシリボ核酸)は、糖とリン酸の鎖に4種類の塩基が並んだ分子で、その並び順(塩基配列)が情報を担っています[1]。
ただし、NHGRIの用語集が「生物のDNAのすべてをゲノムと呼ぶ」とも書いているように[1]、ゲノムは「情報」だけでなく、DNAという物質の総体を指して使われることもあります。「ゲノムDNAを抽出する」がその例です。
ゲノムと遺伝子の違い:全体と一部
遺伝子はゲノムの一部です。ゲノムが全巻セットなら、遺伝子はその中に書かれた個々のレシピにあたります。ヒトのゲノム約30億塩基対のうち、タンパク質の設計図として使われる部分は2%未満で[4]、残りには遺伝子の使い方を決める調節領域や、染色体の構造を保つ領域、繰り返し配列などが含まれます。
臨床の場でこの違いが重要になるのは、遺伝子そのものに変化がなくても、遺伝子の外側にある調節領域の変化によって病気が起こることがあるからです。
ゲノムと染色体の違い:情報とそれを収める構造
染色体は、ゲノムを収めるための「入れもの」の形です。DNAはヒストンというタンパク質に巻きつき、何重にも折りたたまれて核の中に収められています。細胞分裂のときにこれが凝縮し、顕微鏡で見える形になったものが染色体です。ヒトは常染色体22対と性染色体1対をもっています[1]。
染色体の数や形の変化は染色体検査で調べられますが、1文字単位の塩基の違いは顕微鏡では見えないため、DNAの配列を読む検査が必要です。
3. ヒトのゲノムは何本・何組?
ヒトのゲノム1組は23本の染色体で、体の細胞は父由来と母由来の2組、計46本をもっています。
1ゲノム=23本、体細胞は2組(46本)
精子や卵子などの配偶子は、染色体を1組だけもっています。ヒトではその1組が23本(常染色体22本と、XまたはYの性染色体1本)で、これが生物学でいう「1ゲノム」です。受精によって父由来の1組と母由来の1組が合わさり、受精卵は2組・46本の染色体をもちます。このように2組をもつ状態を二倍体(ディプロイド)と呼び、ヒトの体の細胞の多くは二倍体です[1]。
DNAの量でいえば、1組が約30億塩基対なので、体の細胞1個には約60億塩基対のDNAが含まれていることになります。体の細胞は基本的にすべて同じゲノムをもちますが、細胞ごとに「どの遺伝子を使うか」が違います(第5章)。
⚠️ 「ゲノムは何本?」に2通りの答えがある理由
高校生物の定義では「1ゲノム=23本」ですが、医療や研究で「その人のゲノム」と言うときは、2組分の46本(とミトコンドリアDNA)をまとめて指すことが多くあります[1]。どちらの意味で使われているかを確認しないと、「23本なのか46本なのか」で話がかみ合わなくなります。また、1組に含まれる性染色体はXかYのどちらか1本なので、ヒトという種全体の染色体の種類はX・Yを含めて24種類になります[8]。
なぜ2組あるのか
ヒトのゲノムが2組あるのは、父親と母親から1組ずつ受け継ぐからです。精子や卵子がつくられるときには、減数分裂という特別な細胞分裂によって、2組ある染色体が1組に減らされます。そして受精で2組に戻ります。
2組の中で、同じ番号の染色体どうし(父由来の1番と母由来の1番など)を相同染色体と呼びます。相同染色体は同じ遺伝子を同じ並びでもっているため、多くの遺伝子について、私たちは父由来と母由来の2つのコピーをもつことになります。この2つのコピーの組み合わせが、病気の遺伝形式を考える基本になります。
ヒトゲノムの大きさ・遺伝子の数と完全解読
ヒトゲノム計画は2003年に完了し、遺伝子数の推定は2万〜2.5万個に修正されました[4]。しかし当時の参照配列には、繰り返しが多く読み取りの難しい領域を中心に、ゲノムの約8%が未解読のまま残っていました[9]。
この空白を埋めたのが、テロメア・トゥ・テロメア(T2T)コンソーシアムです。2022年、Y染色体を除く全染色体を切れ目なくつないだ30億5,500万塩基対(3.055Gb)の配列「T2T-CHM13」が発表され、約2億塩基対の新しい配列と1,956個の遺伝子予測(うち99個がタンパク質をつくると予測)が加わりました[9]。続いて2023年には、最後に残っていたY染色体についても62,460,029塩基対の完全な配列が報告され、ヒトの24種類すべての染色体の完全な参照配列がそろいました[8]。
なお、T2T-CHM13は胞状奇胎という特殊な組織に由来する、実質的に1人分・1組分の配列です[9]。「人類を代表するゲノム」ではないため、集団の違いをとらえるパンゲノムの取り組みも進んでいます。詳しくはヒトゲノムとはの記事で解説しています。
4. 生物によってゲノムはどう違う?
ゲノムの大きさは生物によって数百万塩基対から千億塩基対を超えるものまで大きく異なり、ゲノムが大きい生物ほど複雑、というわけではありません。ゲノムサイズの単位や測り方は、ゲノムサイズとはの記事でも解説しています。
ウイルス・細菌・ヒト・植物のゲノムサイズ
📏 生物によるゲノムサイズの比較
※測定法が異なる値を含みます。記録は更新される可能性があります。
大腸菌のゲノムはヒトの約650分の1ですが、4,000個以上の遺伝子を含みます[10]。一方、ニューカレドニアに生えるシダの一種は、ヒトの50倍以上にあたる約1,605億塩基対のゲノムをもつことが2024年に報告され、日本のキヌガサソウがもっていた記録を塗り替えました[12]。
ゲノムが大きい生物ほど複雑、とは限らない
ゲノムサイズと生物の複雑さは一致しません。NHGRIも、生物の複雑さとゲノムの大きさの間に一貫した関係が見られないことは、いまだに謎が多いと述べています[1]。この「ずれ」の多くは、遺伝子そのものの数ではなく、遺伝子以外の領域の量の違いによって生まれています。
たとえば南米ハイギョのゲノムはヒトの約30倍ありますが、その巨大さは、遺伝子と遺伝子の間の領域やイントロンが大きく広がり、繰り返し配列が約90%を占めることによるものと報告されています[11]。ゲノムの大きさは生物の「高等さ」ではなく、進化の中で蓄積した配列の量を反映していると考えられます。
5. ゲノムの中身:遺伝子と、遺伝子以外の領域の働き
ゲノムには、タンパク質をつくる遺伝子と、その使い方を調節する領域、構造を保つ領域などが含まれ、全体として一つの情報システムとして働いています。ここでは、遺伝子がどう使われるのか、そして遺伝子以外の領域にどんな働きがあるのかを見ていきます。
遺伝子からタンパク質がつくられるしくみ
遺伝子の情報は、まずDNAからRNA(メッセンジャーRNA、mRNA)へ写し取られます。これを転写といいます。次に、mRNAの塩基3つの並び(コドン)が1つのアミノ酸に対応するという規則に従って、リボソームでアミノ酸がつながれ、タンパク質ができます。これを翻訳といいます。
大切なのは、ゲノムにあるすべての遺伝子が、いつもすべての細胞で使われているわけではないことです。どの遺伝子を、いつ、どの細胞で、どれだけ使うかは細かく調節されています。遺伝子が実際に使われてタンパク質などがつくられることを遺伝子発現といい、この調節を担っているのが、次に説明する遺伝子以外の領域やエピゲノムです。
遺伝子以外の領域は「ジャンク」ではない
かつて、タンパク質をつくらない領域は「ジャンク(がらくた)DNA」と呼ばれることがありました。しかし研究が進むにつれて、その一部には、遺伝子の働きを強めたり弱めたりする調節配列(プロモーターやエンハンサーなど)が含まれていることが分かってきました。
国際研究プロジェクトENCODEは、ヒトゲノムの中に約93万か所の調節配列の候補を登録しており、これはゲノム全体の7.9%にあたります[13]。染色体の両端を守るテロメアや、分裂時の足場となるセントロメアなど、構造を保つ領域もあります。
ただし、遺伝子以外の領域のうち、どこまでが実際に機能をもっているかについては、研究者の間でも議論が続いています。
ゲノムとエピゲノム
エピゲノムとは、DNAの配列そのものは変えずに、どの遺伝子を使うかを決める化学的な目印の全体です。DNAや、DNAが巻きつくヒストンに化学的な目印が付くことで、遺伝子のスイッチがオンやオフに切り替わります。これらの目印はDNAの配列を変えるのではなく、細胞がDNAの指示をどう使うかを変えるもので、細胞分裂のときに受け継がれることもあります[14]。
同じゲノムをもつ細胞が、神経や筋肉などまったく異なる細胞になれるのは、このエピゲノムの違いによるところが大きいと考えられています。詳しくはエピゲノムの記事をご覧ください。
6. ゲノムを調べる・医療に活かす
ゲノムの情報は、病気の診断や治療法の選択に使われるようになっており、調べる範囲によって検査の種類が分かれます。
ゲノム解析の種類(全ゲノム・エクソーム・遺伝子パネル)
ゲノムを調べる検査は、どこまでの範囲を読むかで大きく3つに分けられます。全ゲノム解析は、ゲノム全体の配列を読む方法です。エクソーム解析は、タンパク質の設計図にあたるエクソン(ゲノムの2%未満[4])に絞って読む方法です。遺伝子パネル検査は、特定の病気に関わる遺伝子群だけを選んで調べる方法です。
範囲が広いほど、意味がまだ分からない変化や、調べる目的とは関係のない変化(二次的所見)が見つかる可能性も増えます。どの検査が適しているかは、調べたい目的によって変わります。検査方法の違いはエクソーム解析と全ゲノム解析の違い、検査全般については遺伝子検査とはの記事で詳しく解説しています。
ゲノム医療とは
ゲノム医療とは、個人のゲノム情報をもとに、その人の体質や病状に適した医療を行うことです。日本では2023年6月にゲノム医療推進法が成立・施行され、2025年11月には法律に基づく基本計画が策定されました[15]。がんゲノム医療や遺伝性疾患の診療が代表的な分野です。
ここで区別しておきたいのは、がん細胞で後から起きたゲノムの変化と、生まれつきもっているゲノムの変化の違いです。前者は基本的に次の世代には受け継がれませんが、後者は血縁者にも共有されている可能性があります。結果が家族に関わるかどうかが異なる点が重要です。
ゲノム編集とは
ゲノム編集とは、ゲノムの狙った場所を切断し、配列を書き換える技術です。代表的な方法であるCRISPR-Cas9の開発者は、2020年にノーベル賞を受賞しました。医療では、2023年12月に米国食品医薬品局(FDA)が、CRISPR-Cas9を用いた初めての治療(鎌状赤血球症に対するCasgevy)を承認しています[16]。
一方、精子・卵子・受精卵のゲノムを編集して次の世代に伝わる変化を起こすことには、安全性と倫理の両面から大きな懸念があります。ゲノム編集の仕組みや課題はゲノム編集の記事で解説しています。
NIPTの「胎児ゲノム率」とは
NIPT(新型出生前診断)の結果票などで目にする「胎児ゲノム率」とは、母親の血液中を流れる細かなDNA断片(セルフリーDNA)のうち、胎児側に由来するものが占める割合のことです。胎児分画とも呼ばれ、胎児側のDNAは主に胎盤の細胞に由来します[17]。
名前に「ゲノム」とありますが、胎児のゲノムの大きさや量を表す数値ではありません。妊娠10〜20週では平均的に約10〜15%とされ[17]、検査の判定に必要な最低値は検査法によって異なります。数値の読み方は胎児ゲノム率が低い=異常?4%基準と再検査の考え方の記事で解説しています。
7. ゲノム情報とは?なぜ特別に守られるのか
ゲノム情報とは、ゲノムの配列(ゲノムデータ)に、病気へのかかりやすさなどの医学的な意味づけを加えた情報です。一人ひとり異なり血縁者とも共有するという特徴から、法律で保護され、差別を防ぐ仕組みづくりも進んでいます。
ゲノムデータとゲノム情報の違い
日本の個人情報保護法の考え方では、ゲノムデータとゲノム情報を区別して整理しています。個人情報保護委員会のガイドラインは、ゲノムデータ(細胞から採取されたDNAの塩基配列を文字列で表したもの)のうち、全ゲノムの配列データ、全エクソームの配列データ、全ゲノムのSNP(一塩基多型)データ、互いに独立した40か所以上のSNPからなるデータ、9座位以上の4塩基単位の繰り返し配列(STR)などで本人を識別できるものを、「個人識別符号」にあたるとしています[18]。これは名前が付いていなくても個人情報です。
さらに、同じガイドラインでは、疾病の予防や早期発見のために行われた遺伝子検査の結果が、特に取り扱いに配慮が必要な「要配慮個人情報」の例として挙げられています[18]。つまり、配列そのものも、それに意味づけをした結果も、法律上の保護の対象です。
ゲノム情報の3つの特徴(固有性・予測性・血縁者との共有)
日本医学会のガイドラインは、遺伝学的検査で扱う個人の遺伝情報の特性として、生涯変化しないこと、病気へのかかりやすさを予測しうること、血縁者にも影響を与えうることを挙げています[19]。
固有性について、1人のゲノムは参照配列と約400万〜500万か所で異なることが1000人ゲノム計画で示されています[20][21](ヒトの遺伝的多様性)。予測性は将来の発症の可能性をある程度推定できること、血縁者との共有は親・きょうだい・子どもが同じ変化をもつ可能性があることを指します。
このうち特に重要なのが3つめです。ゲノム情報は「本人だけの情報」ではなく、血縁者の健康にも関わる情報です。そのため日本医学会のガイドラインは、遺伝学的検査で得られた情報を、本人の同意なく血縁者を含む第三者に開示すべきではないとしています[19]。
ゲノム情報による差別を防ぐしくみ
ゲノム情報は、就職や保険への加入などの場面で、不当な差別やプライバシーの侵害につながるおそれがあります[22]。日本では、2023年6月にゲノム医療推進法が公布・施行されました。この法律は、個人の権利利益の擁護や人の尊厳の保持に対応しつつゲノム医療を推進することを目的とし、政府に基本計画の策定を求めています[23]。これに基づき、2025年11月にゲノム医療施策に関する基本計画が策定されました[24]。
社会の側の取り組みとしては、法務省が2025年4月、人権啓発活動の強調事項に「ゲノム情報(遺伝情報)に関する偏見や差別をなくそう」を加えました[25][22]。雇用の分野では、遺伝情報は職業安定法上「社会的差別の原因となるおそれのある事項」として、採用選考での収集が原則禁じられています[26]。海外では、米国が2008年に、健康保険と雇用における遺伝情報による差別を禁じる法律(GINA)を定めています[27]。
2017年と2022年に日本の一般成人を対象に行われた匿名の調査では、いずれの年も約3%の人が、遺伝情報に関して何らかの不利益な扱いを経験したと回答しています[28]。
ゲノム検査を受ける前に確認したいこと
検査を受ける前には、次の点を確認しておくことが大切です。何を調べ、何が分かり、何が分からないのか。結果が血縁者にも関わる可能性があること。調べる目的と関係のない変化(二次的所見)が見つかった場合に、知らせてほしいかどうか。そして、結果を知りたくないという選択(知らないでいる権利)も尊重されることです。二次的所見の扱いについては二次的所見の開示方針の記事で解説しています。
日本医学会のガイドラインは、民間保険会社などからの照会にも患者の同意なく回答してはならないとしています[19]。なお、研究でゲノムを扱う場合のルールについては、以前の「ヒトゲノム・遺伝子解析研究に関する倫理指針」が2021年6月30日に廃止され、現在は「人を対象とする生命科学・医学系研究に関する倫理指針」に統合されています[29]。検査の前後に、専門家とこれらの点を話し合う場が遺伝カウンセリングです。
🩺 院長コラム【ゲノムは「私だけの情報」ではない】
ゲノムという言葉は「自分の設計図」として語られることが多いのですが、遺伝医学の立場から私が大切だと考えているのは、ゲノムが親から受け継ぎ、きょうだいと分け合い、子どもへ手渡していく情報だという点です。ある人のゲノムに見つかった変化は、その人の家族にとっても意味をもつことがあります。
だからこそ、ゲノムを調べる前には「何が分かるか」だけでなく、「分かった結果を誰と、どこまで共有するか」まで考えておくことが大切だと考えています。ゲノム情報を守る法律や指針が整えられてきたのも、この「家族と共有する情報」という性質があるからです。
よくある質問(FAQ)
Q1. ゲノムとは簡単に言うと何ですか?
ゲノムとは、その生物をつくり、はたらかせるのに必要な遺伝情報のひとそろい(1組)のことです。ヒトでは、23本の染色体に収められた約30億塩基対のDNAが1組のゲノムにあたり、その中にタンパク質をつくる遺伝子が約2万個含まれています。
Q2. ゲノムは遺伝子全体のことですか?
いいえ。ゲノムには遺伝子のほかに、調節領域や繰り返し配列なども含まれます。タンパク質の設計図にあたる部分はヒトゲノムの2%未満です。
Q3. ヒトのゲノムは何本・何組ですか?
精子や卵子がもつ23本の染色体が1組のゲノムです。体の細胞は父親由来と母親由来の2組、計46本の染色体をもっています。1人のDNAすべてを「その人のゲノム」と呼ぶこともあります。
Q4. ゲノムの何%が遺伝子ですか?
タンパク質の設計図にあたる部分(コード領域)は、ヒトゲノムの2%未満です。イントロンを含めた遺伝子の領域はそれより広く、「遺伝子」の範囲の取り方で割合が変わります。
Q5. ゲノムは一生変わりませんか?
生まれつき受け継いだ生殖細胞系列のDNA配列は基本的に維持されます。一方、体細胞では年齢とともに後天的な変異が蓄積します。大腸・小腸・肝臓の成人幹細胞を調べた研究では、1年あたり約40個の新たな点変異が蓄積すると報告されています[30]。詳しくは体細胞変異と生殖細胞系列変異のちがいの記事をご覧ください。
Q6. ゲノムデータは個人情報ですか?
はい。全ゲノムの配列データなど本人を識別できるゲノムデータは、個人情報保護法の「個人識別符号」にあたり、それ自体が個人情報です。遺伝子検査の結果は「要配慮個人情報」に該当しうるものです。
Q7. NIPTの胎児ゲノム率とは何ですか?
母親の血液中を流れる細かなDNA断片(セルフリーDNA)のうち、胎児側(主に胎盤)に由来するものが占める割合です。ゲノムそのものの量ではありません。妊娠10〜20週では平均的に約10〜15%とされ、判定に必要な最低値は検査法によって異なります。詳しくは胎児ゲノム率が低い=異常?4%基準と再検査の考え方の記事をご覧ください。
Q8. エピゲノムとは何ですか?
エピゲノムとは、DNAの配列そのものは変えずに、どの遺伝子をいつ、どの細胞で使うかを決める化学的な目印の全体のことです。詳しくはエピゲノムの記事をご覧ください。
まとめ
ゲノムとは、その生物をつくり、はたらかせるのに必要な遺伝情報のひとそろいです。ヒトのゲノム1組は23本の染色体に収められた約30億塩基対で、体の細胞は父と母から1組ずつ受け継いだ2組をもっています。タンパク質の設計図にあたる部分は2%未満です。
2022〜2023年にヒトゲノムの完全な配列がそろい、ゲノム情報は医療に使われるようになりました。一方で、ゲノム情報は生涯変わらず、将来の健康を予測でき、血縁者と共有しているという特徴をもつため、個人情報として保護され、差別を防ぐ仕組みが整えられつつあります。
参考文献
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- [3] 東京大学大学院理学系研究科・理学部「理学のキーワード:ゲノム」. [東京大学 理学系研究科]
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