院長仲田洋美の歴史(医学生時代)
院長仲田洋美の学生時代
初めまして。仲田洋美(なかたひろみ)
と申します。
新型コロナウイルスSARS-CoV-2によるパンデミックが世界を震撼させています.こんな時期に,テレビで不適切な情報を流す人たちに怒って,国民の皆様に確かな情報を伝えるべく,SNSを駆使しております.そんなわたしの人となりを知りたい,というお声もいただくので,ページを追加してみます.
前からブログ等で書いてはいるのですが.
わたしは,1991年,医学科3年生に上がる春休みに結婚しました.
こんな感じです(笑)
夏休み明けに妊娠が発覚し.しばらくして双生児だとわかりました.多分一卵性.身長が低い(わたしは偽性偽性副甲状腺機能低下症という希少常染色体優性遺伝性疾患患者なので,病気のせいで低身長なのです.)ためか,『妊娠の継続は考え直したほうがいい』となんと旦那様の同期生の産婦人科医に言われました.当時,旦那様研修医1年目.
考え直す気なんてなくて.それより双子だったせいか悪阻がひどくて.寄生虫学実習とかもう,臭くて全然できなくて.一緒の班の男子に,『私の分もやっといて』とか丸投げしたりして乗り越えました!(笑)
でも.1月ごろからお腹がはるようになり,入院しろと言われて.全然ベッドから動いてはいけないといわれて.トイレもベッドの上でしろって言うので,さすがに無理ってポータブルおいてもらった.
そのうち家に帰されて,家で寝てるように言われて.このころの実習はのちに,4年生の夏休みに一人で全部やりました!なので,ウイルス学の実習は,『なにやりたい?』って聞いてくれたから,『電顕のぞきたい!』と要望し,ヘルペスウイルスを電顕でのぞくという恵まれた実習をやりました.あとは薬理学,免疫学とか6人でする実習を一人でやったのでもう大変でした(>_<)
今年の4月5日.息子のお誕生日にわたしがしたツイートを貼り付けます.
母校の大学病院にはいり。産婦人科外来で助産師からエコーを当ててもらって。心音が一人分しか聞こえないといわれて、【下手なんじゃないの?】とかのんきに言っていました。医者が来てエコー当てて。真っ暗でなんも動いていない胸腔が見えたけど。わたしはこういいました。
明日になったら動くわ。2— 仲田洋美 がんと遺伝子の専門医 (@drhiromi) April 5, 2020
死亡した個体はタンパク分解酵素を出す。わたしは産科DICを起こし、たくさんの輸液チューブにつながれて、痛み止めは出血を助長するので使えないと言われて、ただただ痛みに耐え続けた。出血するたびに ザーザー と音が聞こえそうなくらい出ましたね。 4
— 仲田洋美 がんと遺伝子の専門医 (@drhiromi) April 5, 2020
合間に泣き続け。シリンジポンプが進むと痛くて悲鳴を上げ。そうやって3日くらい過ごしたかな。やっと赤ちゃんの写真を見せてもらった。でも。2人いたのだと思うと余計泣けてきた。そしておちついたわたしは、7日目にやっと息子に会えた。初めて会って、また泣いた。 6
— 仲田洋美 がんと遺伝子の専門医 (@drhiromi) April 5, 2020
このとき、わたしは医師の一言が患者をどれほど傷つけるのかを嫌というほど知った。
2週間くらいで退院した。
本当は息子はまだ帰れないくらいの大きさだったけど
わたしの精神状態を考えて一緒に帰してくれた。
8— 仲田洋美 がんと遺伝子の専門医 (@drhiromi) April 5, 2020
わたしが白い巨塔で2回も冷凍されながら、態度を変えなかったのは、あのときの自分に手を差し伸べていたのかもしれない。
誰も守ってくれなかった、泣いてばかりいた私。
弱きものを守らなくてどうするのだ。
われわれは医者だ。
封建制、密室性、情報の非対称性をわたしは憎んだ。10
— 仲田洋美 がんと遺伝子の専門医 (@drhiromi) April 5, 2020
そして、今度は、遺伝子変異?
わたしは遺伝専門医になる自信を無くし、兵庫医大の指導教官にこういった。
無理です、自信がありません。
指導教官の玉置知子先生はこういった。あなたにしかできないことがあります。
やめてはなりません。
わたしは遺伝専門医です。
カウンセリングは得意よ。12
— 仲田洋美 がんと遺伝子の専門医 (@drhiromi) April 5, 2020
あらが目立って腹が立って仕方がない。
何が歴史と伝統と格式よ?何が本道よ?
この外道ども(*`Д´)ノ!!!
と悪態の限りを披露した。
これが20年以上膠着していた日本の専門医制度改革の歯車をぐるっと回したことを、
14— 仲田洋美 がんと遺伝子の専門医 (@drhiromi) April 5, 2020
といった(笑)彼はわたしが子供を亡くしたことを知らなかったといったけど。馬しかだなって思う。もういいけど。
殴ってはいない。ネクタイを引っ張ってあげた。
そのころの私は本当に機嫌悪かったけど。
神様って本当はいないんじゃないかなっておもったことあるけど。16
— 仲田洋美 がんと遺伝子の専門医 (@drhiromi) April 5, 2020
でも。ママは泣いて泣いて泣いて。
ずいぶん泣いて思ったんだ。この国をよくしたい。
子供たちが出ていく社会をよくしたい。それからのママは、あんなに嫌いだったお勉強を必死にして、おかしいことはおかしいと大声で言い続けて
いろんなことを変えている。頑張る。今日も明日も明後日も。
18— 仲田洋美 がんと遺伝子の専門医 (@drhiromi) April 5, 2020
気が付いたらわたしは、日本の医学のアカデミアと厚生労働省と専門医機構の間にはさまれて存在していて。
医師の専門教育の在り方にずいぶん影響している。
28年前のわたしに、ちゃんと
つらかったねそういってくれる医師をたくさん育てたい。
それはきっと日本の国民のためになる
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— 仲田洋美 がんと遺伝子の専門医 (@drhiromi) April 5, 2020
産婦人科病棟に切迫早産で2か月近く入院したけど、先生たちはみんなピリピリしてた。軍隊みたいな教授回診。
産婦人科なのに、タバコ吸いながら回診してて、婦長が灰皿もって教授の後ろをついて回っていた。わたしは、あきらめて正期産になるまで待つことにした。
2
— 仲田洋美 がんと遺伝子の専門医 (@drhiromi) April 6, 2020
「当時から一卵性双生児は特に、正期産まで待つと死亡率が高くなることがわかっていたのに、どうして正期にこだわったのか僕にはわからない」
申し訳なさそうに言った彼に、わたしは衝撃を受けた。
そして、うっすら理解した。
みんな、知ってたんだ。
知ってたのに、わたしと息子の命ではなく、
4— 仲田洋美 がんと遺伝子の専門医 (@drhiromi) April 6, 2020
このとき、わたしは、医学的真実が何年も後になって
人を苦しめることがあるのだということを嫌というほど知った。でも。わたしは、当時御三家と言われた血液内科の一つ、三好勇夫教授のもとで、医師はどの瞬間もサイエンティストであれ、と言われて育った。
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— 仲田洋美 がんと遺伝子の専門医 (@drhiromi) April 6, 2020
長いこと忘れて暮らしてきたけど
いきなりの久保先生の出現は、2か月近くわたしを毎日泣かせた。(笑)
そんなとき、北見赤十字病院事件の医療記録を見て
もう心底怒りに震えたってわけだ。
全部重なっちゃったよねって感じ。
そして、久保先生は突然わたしに会いたいといって8
— 仲田洋美 がんと遺伝子の専門医 (@drhiromi) April 6, 2020
わたしはもともと他人を恨む気持ちがあまりないが。
悟った。
密室性、封建制、情報の非対称性こそがわたしの敵なのだ、と。医療を国民の手に取り戻さなければならない。
わたしは心底そう思った。そうしないと、医師も患者も誰もが不幸になる。
そう思わせてくれた久保先生に今では感謝。10
— 仲田洋美 がんと遺伝子の専門医 (@drhiromi) April 6, 2020
でもまだ、直接連絡すると泣いちゃうけど(笑)
人生いろいろあるんですよ。
こうやってつぶやいているのは
人はどんな状況からも脱出できるということを知ってほしいから。わたしはあのとき、一人だって思ってたけど。
一人じゃなかったよ。
今の私にはそれがわかる。11
— 仲田洋美 がんと遺伝子の専門医 (@drhiromi) April 6, 2020
なので.
わたしは,『医師免許』をもって,ちゃんと説明してくれない医者が大嫌いで.
やっぱ,ちゃんと説明してもらいたかったですよね.
正期までいくと死亡率が高くなるといわれたら,頑張らなかったですよね.
無事に産みたかった.
院長経歴 2020年現在医師歴25年
- 1995年 高知医科大学医学部医学科卒業
- 1995年 高知医科大学医学部第三内科学教室(血液・呼吸器・感染症内科学教室)入局
- 2005年 高知医科大学第二外科学教室(心臓血管外科・消化器外科・呼吸器外科・乳腺外科)入局
- 2005年 高知医科大学第二外科学教室助教
- 2011年 兵庫医科大学医学部付属病院臨床遺伝部
- 2014年12月 新宿ミネルバクリニック開院
- 2018年3月 移転の為、新宿ミネルバクリニック閉院
- 2018年3月 神宮外苑ミネルバクリニック開院
所属学会
- 米国臨床腫瘍学会(ASCO)
- 日本内科学会
- 日本臨床腫瘍学会
- 日本人類遺伝学会
- 日本遺伝カウンセリング学会
- 日本血液学会
- 日本感染症学会
- 日本化学療法学会
- 日本癌学会
- 日本癌治療学会
- 日本乳癌学会
- 日本家族性腫瘍学会
- 日本緩和医療学会
- 日本医学哲学倫理学会
- 日本医事法学会
- 日本認知症学会
専門医・認定医・その他
ヒポクラテスの木
高知医科大学医学部医学科6年生のころ。
臨床実習中に、友人が撮影したものです。
後ろには、ヒポクラテスの木。
医学の祖、ヒポクラテス(紀元前460-375)は、
エーゲ海のコス島で生まれました。
コス市には樹齢3000年と言われる大きなプラタナスの樹があるのですが、
ヒポクラテスがこの樹木の下で医学セミナーを開いたことから人々が
この大樹を医学のシンボルとみなして、「ヒポクラテスの木」と呼ぶようになりました。
その若木が広く世界中に植樹されています。
この木はプラタナスという名前の木で、
私たちを教育してくれた先生たちの思いがプラタナスに込められています。
卒業して20年が経過しやっと理解できるようになりました。
プラタナスの木にふざけて聴診器をあてたりした学生時代には戻れませんが、大学時代、無邪気に幸せに育んでいただいたからこそ、
医師になってからいろんな壁に衝突し、
数えきれないほどの挫折を経験してもなんとか起き上って、
「まだ頑張れる」と自分を信じることが出来たのだと思います。
さまざまな経験をしてきて気が付けば、
内科専門医、
がん薬物療法専門医、
臨床遺伝専門医
という3枚の専門医資格を持つ国内唯一の医師となっていました。
しかし、ここがスタートラインです。
がんと遺伝の専門医として、遺伝性腫瘍の診療体制の整備に
微力ながら尽力していきたいと思います。
ハイヒールでエベレストに登ろうとしている、
わたしはそう表現されるくらい難しい道を選択してきました。
しかし、困難な課題だからこそ、取り組まねばならない。
私はそう思います。
そして.
言い続けたら第三次がん対策基本計画に遺伝性腫瘍に対する取り組みを入れてもらえました.
頑張ろう.
素直にそう思えるのも、
支援してくださるたくさんの方々がいらっしゃるからなのだと本当に感謝しています。
皆様、プラタナスの木のように、これからもどうぞ、
このお転婆で天然な専門医を見守ってくださいますようお願い申し上げます。
なお、ミネルバという名前に込めた思いがあります.
ミネルバは,ローマ神話の『医術と戦術の女神』です.世界中の医育機関の紋章に取り入れられています.
わたしも,ミネルバのような女医でありたい.そう思って,ミネルバをかぶりました!(笑)