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NIPT(新型出生前診断)に反対意見があるのはなぜ?中絶は悪いことなのでしょうか

今回は、「出生前診断や中絶は悪いことなのでしょうか」ということを考えてブログを書きたいと思います。

神奈川県立こども医療センターという病院があります。

いろいろ立場ってあるのでしょうが、以前から思っていることとして、神奈川県立こども医療センターは、羊水検査はするがたとえそれで異常があっても中絶はしない、つまり、それでも産むことを決めたら神奈川県立こども医療センターでみてあげるけど、そうじゃない場合(中絶する場合)は他の医療機関に行くように、とはっきり言われてしまいます。

ミネルバクリニックの患者さんで、前に赤ちゃんの成長が悪くて、神奈川県立こども医療センターを紹介されて行ったけど、上記のようなことを言われて、混乱している中、ろくに何の判断もできなくて、「そんなに言うんだったら産んでみようか」と、そのまま出産に至った人がいます。お子さんには小脳が小さいとかいろんな異常がありましたが、なかでも喉頭軟化症が非常に問題で、人工呼吸を行うための挿管もうまくいかないような状態だったそうです。2日で亡くなりました。

こども病院は「子どものための病院」だから、中絶するなんてとんでもない話だ、それだったら診療できない、というのが子ども病院の立場だそうですが。本当にそうでしょうか?

結果的に2日で亡くなるお子さんだったことで深く傷ついたのは患者さん御一家でしょう。

「出生前診断や中絶は悪いことなのでしょうか」、順番にこの問題を考えていきましょう。

中絶は罪(犯罪)なのか

日本においては1907年から刑法に堕胎罪が定められており、中絶する女性と施術した人が罪に問われます。人工妊娠中絶は罪なことは間違いありません。しかし、2009年、日本は国連・女性差別撤廃委員会から堕胎罪の撤廃を求められています。

人工妊娠中絶は堕胎罪に該当するが、中絶の違法性を阻却する法律の制定により実質的に幅広く人工妊娠中絶を合法化

1948年には、優生保護法が制定されました。当時は敗戦直後で大陸から引き揚げてくる女性たちの中には性的暴行により妊娠してしまった事例があったため、法律ができるまでの間は、厚生省の管轄の保養所で不法な中絶手術が国により行われていました。

優生保護法の中絶の対象の広さ

優生保護法の中絶の対象は、「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命健康を保護する」となっていました。人工妊娠中絶の合法化は戦後の食糧危機のなか人口爆発を防ぐという目的もありました。優性保護法はその名の通り、「優性思想」をいいことだと認めるものでした。これについて、当時の専門家たちは「世界の最先端の素晴らしいものだ」という自負を持っていたようで、ほとんどだれも問題に思っていなかったそうです。この点、偉大な哲学者であるアリストテレスも、奴隷制度を当たり前のことだと思っていたそうですから、ある考え方の正しさは時代背景により変わっていくということも考慮しないといけないですね。

中絶天国と世界から揶揄されたことで母の罪という概念を普及させた

優生保護法は「経済的事由」による中絶を認めたため、何でもこの「経済的事由」により認められるという現象が起こってしまい、その後、日本は1970年代に年間100万を超える中絶件数となり、中絶天国と世界から問題視されるようになりました。注目すべきことは、この時期に突如、全国で水子供養が広められ、中絶を悪いことだと人々の意識に植え付けることが行われました。それまでの野放図さを政策では突然転換できなかったため、水子供養ブームに置き換えることで「母の罪」などといった宗教観などに訴えかけようとしたのでしょうか。

母体保護法により人工妊娠中絶を認めるための経済的事由とは何を意味するのか

二度に渡り、優生保護法の経済的事由を撤廃するための改正も試みられたのですが、反対活動にあい、経済的事由は削除されませんでした。

ところで、この「経済的事由」とは何でしょうか?

厚生労働省発子 1020 第1号には以下の様に述べられています。

法第 14 条第1項第1号の「経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの」とは、妊娠を継続し、又は分娩することがその者の世帯の生活に重大な経済的支障を及ぼし、その結果母体の健康が著しく害されるおそれのある場合をいうものであること。 従って、現に生活保護法の適用を受けている者(生活扶助を受けている場合はもちろん、医療扶助だけを受けている場合を含む。以下同じ。)が妊娠した場合又は現に生活保護法の適用は受けていないが、妊娠又は分娩によって生活が著しく困窮し、生活保護
法の適用を受けるに至るような場合は、通常これに当たるものであること。

つまり、生活保護を受けている、または妊娠を継続する事で生活保護の適応を受けざるを得ないような事例とされています。

戦後、優生保護法ができた頃には、地区優生保護委員会で一例一例承認していたのですが、年間100万件を超える事態となり、そういう丁寧な過程はなくなってしまいました。そして、経済的事由は非常に幅広く適応され、日本においては中絶は刑法で違法とされていながらもこれを実質的無にするような幅広さで実務が行われています。

その後、1990年代になり、世界では女性の権利として、「自分の身体は自分で決める」というリプロダクティブ・ライツの概念が湧き上がってきました。リプロダクティブ・ヘルス/ライツとは 1994 年,国連の国際人口・開発会議で採択されたカイロ行動計画において提唱された概念であり,「万人が保証されるべき性と生殖に関する健康と権利」であると定義されました。

リプロダクティブヘルス(reproductive health)とは,人間の生殖システム,その機能と(活動)過程のすべての側面において,単に疾病,障害がないというばかりでなく,身体的,精神的,社会的に完全に良好な状態であることを指す。したがって,リプロダクティブヘルスは,人々が安全で満ち足りた性生活を営むことができ,生殖能力を持ち,子どもを産むか産まないか,いつ産むか,何人産むかを決める自由を持つことを意味する」引用元

身体を所有する本人自身が身体のことを主体的に決める権利がある、つまり健康を守ったり、自分の身体の問題を自らの意志で決めることは基本的人権の一つなのだという考え方です。日本でも女性団体がこうした流れからリプロダクティブライツの一環としての中絶を認めるよう国に要望しようとした矢先、1996年に突如、それまで改正されなかった優生保護法は、その「優性上の見地から不良な子孫の出生を防止するという側面」だけを削除して改正されました。

慌てて改正したような雰囲気を感じますので、「リプロダクティブライツを女性に渡したくない」ようなごりごりの「保守派」な政治家たちが動いたのかと勘繰りたくなります。

中絶は悪なのか

次に、「中絶は悪なのか」について考えてみましょう。

プロ・ライフとプロ・チョイス

プロ・ライフ(pro-life)とは、胎児の生命を尊重する立場で、生命の誕生を受精の瞬間と捉えています。人工妊娠中絶は殺人とみなし、出産して養子に出すなどの措置を取るべきだというのがその主張です。キリスト教のなかでもカトリックは受胎調節を一切認めず、コンドームの使用すら認めていません。米国は意外とカトリックが強い国なので、プロ・ライフとプロ・チョイスが争って大統領選挙の争点になってしまうくらいです。アメリカはキリスト教徒たちが建国したため、今でもキリスト教信者が過半数を占める国なのです。カトリックの中でも避妊や中絶を認めない保守派、ならびにプロテスタントの福音派は、中絶を合憲とする最高裁判決に対して反発し、保守政党である共和党の政治家に中絶規制を訴えてきました。

これに対してプロ・チョイス(pro-choice)は、「胎児の生命」よりも「母体の選択権」を優先する立場です。

論点としては、①胎児が人権を備えた人間であるか否か、②キリスト教、ユダヤ教、イスラム教においては中絶が宗教的禁忌とされていることの2点が大きく存在しています。妊娠中絶は純粋な生命倫理の問題というよりは、政教分離にまで広がる観点でプロライフとプロチョイスが対立してきました。

リプロダクティブ・ヘルス/ライツ

女性を擁護するフェミニズムの視点からは、中絶の禁止は女性に対する出産の強制にほかならず、一方的に女性の自己決定権を奪い女性を支配する構造的女性差別であるという主張もあります。

「リプロダクティブ・ヘルス /ライツ」は、「性と生殖に関する健康と権利」と訳され、性と生殖に関する女性の健康・生命の安全を権利に高め、女性の人権の一つとして認識されつつあります。女性の性や子どもを産む/産まないなど生殖にかかわる全てにおいて、身体的/精神的の双方において社会からも本人の意思が尊重され、自分らしく生きられることを目指しています。女性が自分の身体に関して自分自身で選択し、決められる権利を持つという概念です。

女性がリプロダクティブ・ヘルス/ライツを手にするのを阻むもの

女性のリプロダクト(生殖)に関する自己決定権を軽んじ、女性が憲法13条の幸福決定権から派生すると考えられるリプロダクティブライツという人権を手にするのを阻んできた日本の環境を見ていきましょう。

1.政治家
戦時中は産めよ増やせよ、という国の雰囲気がありました。その後、戦後半世紀以上たった2007年、柳沢厚労相が「女性は産む機械」と発言して物議をかもしました。
2.宗教
先ほどから述べてきた通り、中絶は神に背くものだという宗教の教義があります。
3.文化
「ピルを使うのはふしだらな女性である」、「女性から男性にコンドームの使用などの避妊を求めにくい(対等ではない男女関係)」、「孫はまだか」、孫が産まれたら「乳は出ているのか」、その先は「次の子はまだか」などとまるで自分たちが口を出して当然のごとく口を出してくる姑や姑、小姑たち。明治憲法時代の家族制度の風習が色濃く残る地方では、まだまだ「長男だから」という一言でぐいぐいと夫婦の問題に入り込んで来ようとします。
4.医師たち
医師たちは権威主義的な人が多く、自分の考えと合わないことを患者さんが求めると、「他に行け」などと言う人たちが大勢います。今でも「出生前診断を受けたい」というだけで怒り出す産婦人科医もいるそうですし、赤ちゃんに異常があったことが羊水検査で分かったときでも、「中絶は悪だ」「自分は反対だ」と持論を述べて患者さんを苦しめる産婦人科ベースの臨床遺伝専門医の話も聞きます。おかげで、患者さんは4つも隣の県まで行き、中絶することとなりました。医師が障害があるかどうかを検査する出生前診断を提供しておいて、その結果障害のあるお子さんだとわかっても、中絶を悪だといい、患者さんを追い詰めるなどともってのほかだと考えています。(ご本人を特定していますので名前を公表したいくらいです)

「中絶は悪いものだ」と思わされてきた

『「中絶=罪」というイメージの背景、なぜ中絶を選択した女性が責められるのか?中絶ケアの専門家が解説』の中に詳細に書かれてありますが、日本では戦後、優生保護法が非常に幅広い理由で中絶を合法化したことから100万人を超える中絶が行われる事態となりました。
参考資料:1955年以降の中絶件数の推移

1974年に戦後2回目に出された人口白書で、2010年に日本の総人口が減少に転じることが予測されていました。これを受けてか、1970年代に水子供養という概念が「あなたの知らない世界」みたいなオカルトとともに急速に広まり、「中絶は悪いことだ」というキャンペーンが繰り広げられ、人々の脳裏に刷り込まれていきました。

戦時中は、産めよ増やせよと言われ。戦後は食糧難のため人口抑制政策のために中絶を幅広い経済的事由により合法化し。一転して、人口減の時代が来ると思うや否や、中絶に関してスティグマ(心理的烙印)を植え付ける。女性たちは国の方針に翻弄されてきたことをまず知ってほしいと思います

そしてそのスティグマは中絶した女性たちにその本音を語ることを避けさせる。女性たちは語ることもなくただただひっそりと耐える。

日本特有の12週問題(中期中絶の問題)

日本では妊娠12週を過ぎると、中期中絶として死産届を出して埋葬しないといけなかったりと扱いが変わります。健康保険から出産一時金を受け取ることができるので、高くなる中絶費用の一部がそれで賄われます。ところが、ここで一つ問題があります。
健康保険の出産一時金を請求するのは勤務している女性の場合、事業所を通してなのですが、出産は出産なので、産後6週間の休暇を取らさねばなりません。これは事業所の義務と法律で定められています。取らさないと事業所が罰せられてしまいます。

ただでさえ、中絶に対する「悪いことである」という感情があり、他人に知られたくないのに、職場に知られてしまう。

働いている女性にとって、12週問題は非常に大きいものだということがわかると思います。じゃあ、「妊婦のことは日産婦にしか対応できない」という彼らはなぜ、12週問題を放置するのでしょうか?女性たちがこの問題で苦しんでいることになんて気付いてもいないし気付こうともしないのです。解決しようなんて考えていません。以前、東京都の中絶費用を調査しましたが、中期中絶は非常に高い。分娩料よりも高いところが多いのです。こんな状況で改善する気なんてあるわけないことが推認されます。

NIPTのような出生前スクリーニング検査で胎児に障害があると知って行う中絶

NIPTスクリーニング検査であって確定診断ではないため、羊水検査などの確定検査を経て、おなかの赤ちゃんの診断をきちんとしてからその先どうするかと言うことを考えなければなりません。それでも、羊水検査をせずになるだけはやく中絶したいというお考えのかたは一定数いらっしゃいます。

日本でNIPTが認定施設だけでスタートし、羊水検査をしなかった人が殆どいなかったことが報告されていましたが。海外の臨床研究では確定検査を拒んだ人はもっと多かったです。

米国産婦人科学会のNIPTガイドラインには、「確定検査があるのだということを説明されずに中絶をすすめられるべきではない」と述べられていて、「確定検査を必ず経なければならない」と強要されているわけではありません。それを理解しないのか理解したくないのか、NIPTの日本医学会認定施設の日本の産婦人科医たちは、妊婦さんたちを追い詰めます。

かたや、先日いらした患者さんは、前にある認定施設でNIPTを受けて陽性で、羊水検査もして確定したのですが、その施設の遺伝専門医(産婦人科ベース)から、「中絶は悪いことだ」と言われてしまい、仕方なく300キロ以上離れた地域の産婦人科に行き、中絶することとなったそうです。認定施設には何の問題もない、と認定施設側は喧伝しますが果たしてそうでしょうか?

また、有名なAクリニックにNIPT陽性患者さんが行ったときのこと。超音波検査で特徴的な所見があったと言われたのに、それでも羊水検査をするように言われたそうです。同じ地域のBクリニックでは、超音波検査で陽性所見があり、NIPTも陽性ならば羊水検査まですすめていません。この二つの違いは何でしょうか?Aクリニックにいった患者さんは、羊水検査を受け、中期中絶しました。Bクリニックに行った患者さんは、もっと早い時期に超音波検査で陽性所見を示してくれたので、初期中絶にギリギリ間に合いました。初期中絶は母体のことを第一に考えてくれると定評のあるだいぶ離れた地域のクリニックで受けました。人生に何度もあることではないし、中絶がトラウマにならないように配慮もしないといけないので、近いという理由ではなく、納得のいくクリニックで受けたいという事でした。

海外のNIPTの数万単位の臨床試験の結果を見ていても、陽性になった患者さんが侵襲的検査を必ず受けているわけではありません。追跡調査ができていない人数が一定数います。「自分の身体のことは自分で決める」、リプロダクティブライツが尊重された結果であるとわたしは考えています。かたや、日本産婦人科学会は羊水検査を受けない妊婦さんの数の少なさを自慢しています。それ、強要したってことじゃないんですか?

最近では、13/18トリソミーに関して、NIPTと超音波検査を併用して陽性的中率陰性的中率を100%にできたという報告もあります。(リンク

どうして日本の産婦人科医たちはプロ・ライフ、プロ・チョイスどちらかに偏るのでしょうか?バランスよく、問題点をつまびらかに説明したうえで、最終的には家族としての意見の総和としてのリプロダクティブライツを尊重するということにはならないのでしょうか。非常に疑問に感じます。日本には「おんなこども」という言い方がありますが、これって女性蔑視、児童蔑視ですよね。それが産婦人科、小児科で強いように感じるのはわたしの偏見でしょうか。

バランスのとれた情報が患者さんに入手されているかどうか、カウンセリングが指示的か非指示的か、と言う点も非常に重要です。検査のルーチン化と意思決定のベルトコンベアー化は、自己選択と自己決定いう概念において問題があるでしょう。もっと大きな問題は、障害を避けようとする圧力や、障害のある生活は障害のない生活より劣るという社会的メッセージがあることでしょう。こうした社会的・文化的圧力や偏った情報を改める必要があります。そして、社会はもっともっと障害のあるお子さんの出生を歓迎すべきであるとともに、希望する親御さんにはその可能性を避けるためのより良い技術的手段を提供すべきでしょう。誰もが尊重される社会は多様性を認める社会です。

現実の日本社会では、障害のある方々の家族にサポートする経済的やマンパワー的な負担が大きくのしかかっています。障害のある生活は障害のない生活より劣るかどうかではなく、実際には障害のあるお子さんのいる生活は障害のないお子さんのいる生活よりも社会的・心理的な障壁が大きいことは確かでしょう。

出生前診断における判例

出生前診断で誤った説明、医院側に賠償命令 函館地裁に詳細は書かれていますが、この妊婦さんは羊水検査を受けたのですが、9番染色体に逆位があるという結果と、21トリソミーという結果が併記されていたのですが、前者だけに着目してしまい、「正常多型」で問題ないという説明をしてしまいました。生まれたお子さんがダウン症候群で3週間後になくなってしまったのです。訴訟になりました。日本の母体保護法では赤ちゃんが病気であることを理由とした中絶自体(胎児条項による中絶)が認められておらず、これが「経済的事由」に該当するのかどうかについて裁判所が判断することを期待しました。

「羊水検査で染色体異常があったという結果を正確に告知していれば、中絶を選択するか、選択しない場合、心の準備や養育環境の準備ができた。誤った告知で両親はこうした機会を奪われた」ことを指摘したうえで、医療機関側に計1千万円の支払いを命じました。このように判示されたため、結局は裁判所は胎児条項が経済的事由に含まれるのかについて言及を避けつつ、中絶を選択するかしないかを判断する【自己決定権】については認めたと考えてよいでしょう。その機会を奪われたことによる損害賠償を認めたのですから。こうして、わが国でも中絶するかどうかの決定は個人の自己決定として認められることが判示されたのです。

女性として、母として、遺伝専門医としての思い

ミネルバクリニックには障害があるお子さんを授かった親御さんたちもいらっしゃるので、現実的にどういう問題があるのかなどを傾聴させていただいています。そうした経験を間接的にお伝えしたりもしています。それらはすべて、誰かに何か言われてでもなく、感情に流されたわけでもなく、きちんと自分で考えて選んだんだと納得がいくような経験にできるといいなという思いからです。

ちなみに、臨床遺伝専門医に「中絶は悪だ」と言われて300キロ離れた病院で中絶した経験のある患者さんにはわたしはこういいました。

大変でしたね。産婦人科医というのは徒弟制度で先輩の言うことが正しいと思い込む人や、自分の考えることを正しいことだと押し付ける態度を取る人が多いです。医師全般に言えることなのですが。そういう態度はパターナリズムと言います。父親が自分の考えることが子供にとって最善だと思って言うことを聞けという態度なのでパターナリズムと呼ばれています。中絶は悪だと言っても、実際に障害のあるお子さんを育てるのは親御さんであり、医師がかわって育ててくれるわけではありませんから、こうしろとか口を出すこと自体がおこがましい態度だと私は思っています。NIPTの認定施設の問題はまさにそこにあり、一人そういう人がいると患者さんは本当につらい思いをします。認定施設がいい、認定施設は問題がない、と言っていますが、認定施設でつらい思いをされた経験からそれは事実ではないとお気づきになったことでしょう。わたしも初めての出産で一卵性双生児の一人を子宮内胎児死亡で失いました。あのときのわたしに寄り添ってくれた医師はいませんでした。どんな形であれ、子をうしなうということは母親にとっては苦痛なことです。それを犯罪のように言い立て、余計辛い思いをさせるのは医師による患者虐待に他なりません。まだまだそういう医師たちがいて、大病院は良い医療を提供しているという神話がありますが、そんな中、わたしは臨床遺伝専門医として大きな一石を投じています。なるだけこういうことを減らしたいと頑張っていますが、力不足ですみません。ですが、今回、不安な思いをサポートできることを感謝します。私のところに来てくれてありがとうございました。

わたしは、しいていうなら、誰かの心を軽くできる魔女でありたい。

リプロダクティブライツ。まだまだなじみのない女性の権利ですが。時間とともに社会の意識は必ず変わっていきます。女性の一人として、女性のこの新しい人権をしっかりサポートしていけたらと思います。

全ての女性に愛と勇気と幸福と選択と自己決定を。いいえ。女性も男性もすべての人々に愛と勇気と幸福と選択と自己決定を。多様性を認めるすべての人が生きやすい社会を目指しましょう。

追記:そもそも男性だって40過ぎてまだ結婚しないのかとか子供を持たないのかとか言われるの、大きなお世話ですよね。男性にもリプロダクティブライツさしあげたいですよね!

プロフィール

この記事の筆者:仲田洋美(医師)

ミネルバクリニック院長・仲田洋美は、日本内科学会内科専門医、日本臨床腫瘍学会がん薬物療法専門医 (がん薬物療法専門医認定者名簿)、日本人類遺伝学会臨床遺伝専門医(臨床遺伝専門医名簿:東京都)として従事し、患者様の心に寄り添った診療を心がけています。

仲田洋美のプロフィールはこちら

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